祇園祭というと一般の方には神輿渡御よりも、山鉾巡行の方が有名ですよね。その豪華絢爛なタペストリーや装飾から、「動く美術館」なんて言われ方もします。本来山鉾というのは神輿の「露払い」であって主役ではないはずなのですが。
さて、そんな山鉾が、かつて御香宮神幸祭にもあったらしいのです。
占出山といいます。宝暦12年(1762年)に寄進により造立され、五年毎または七年毎に、若者が綱で引っ張る曳山として行列に加わっていました。肥後町には当時、伊予大洲など5藩の大名屋敷があり、寄進されました。明治以降は居祭となって、神幸祭の6日目頃に飾り付けが行われ、神幸祭最終日の翌日午前中に片づけられます。
御神体は、「鮎祝女御」と呼ばれ、三韓との戦いに臨んだ神功皇后が吉凶を占う釣占を行い、見事に鮎を釣り上げて戦勝を予祝したという故事にちなみ、弓で大きな鮎を釣り上げた姿となっています。御香宮の主祭神は神功皇后なので、一致しています。ちなみに占出山は祇園祭の山鉾にも同名のものがあります。こちらから写真も見れます。
占出山のお囃子もあったそうです。占出山の二階では笛を吹き、鉦を叩き祇園囃を奏でました。が、これも維新後にはなくなったそうです。お囃子は、萬延元年(1860年) の原本を明治16年頃に書き写したらしい符本に13曲が収録されています。
その占出山と鮎祝女御、ふだんはどこにあるかというと、どうやら肥後町のこの小屋に保管されているようです。この一角はかつて宝酒造の社宅だったのですが、現在はドラッグストアのダックスになっています。鮎祝女御像は神幸祭の6日目頃から最終日まで、つまり一年のうち4日間だけ飾りつけされ展示されるということなので、見逃さないようにしてください。
【本稿執筆にあたって参考にした文献など】
- 京都府紀伊郡誌
- 京都府伏見町誌
- 伏見区ホームページ 伏見区あれこれ
- 京都の祭・剣鉾BLOG
御香宮神幸祭の全体像についてはこちらをご覧ください。