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御香宮神幸祭について

1.御香宮神幸祭について

平成29年度の御香宮神幸祭は、9月30日(土)から10月8日までの9日間となります。花傘パレードが10月7日(土)、神輿渡航が10月8日(日)です。

(1)神幸祭とは
神様が外出することを「神幸」(かむみゆき)といいます。
御香宮神幸祭は、おおまかに次の流れで行います。

  1. 本殿から神輿へご祭神の御霊を遷す神事
  2. 神社から御旅所への渡御
  3. 御旅所での神事
  4. 御旅所から神社への還幸
  5. 神殿から本殿へご祭神の御霊を遷す神事

 

(2)全体スケジュール

祭礼前日 夕方 遷座祭
一日目 オイデマツリ
ちびっこ相撲大会 ※1
夜 花傘総参宮 ※2
一日目~五日目夜 神振神事(能舞台)
神振神事終了後 武者組具足飾りつけ
六日目ごろ 肥後町鮎祝女御(あゆいわいにょご/神功皇后像)の飾りつけ ※3
七日目 夜 獅子母衣(ほろ)飾りつけ
八日目 夕方 宵宮祭(本殿にて)
猿田彦行列・武者行列 オクライモライ
大手筋花傘パレード ※4
九日目 神輿渡御

◇早朝
発輿祭(はつよさい)
獅子若行列出発 ※5
武者行列・皇馬出発 ※6
猿田彦行列出発 (猿田彦・天鈿女命(あめのうずめのみこと)) ※7
神輿出発 三基 (※次節参照)
稚児行列出発 ※8

◇午前
御旅所での神事 (大亀谷 御香宮社前) ※9

◇夕方
各行列 帰社

◇夜
遷座祭

神幸祭翌日 午前 肥後町鮎祝女御 片づけ

※1 平成18年より始まる。氏子区域の小学生を中心に毎年約200名が参加する。看聞御記(伏見宮貞成親王による応永23年(1416年)より文安5年(1448年)までの33年間の日記)にも9月1日に御旅所にて相撲が奉納されたとの記載あり。動画
※2 神輿の露払い・いわゆる山車の一種だと考えられる。看聞御記にも「風流笠」などの表記あり。
※3 明治以前は占出山(曳山)として行列に加わっていた。占出山自体は宝暦12年(1762年)に造立。五年毎に行列に参加していたが、明治以降は居祭となる。渡御日まで飾りつけ。※写真1写真2
※4 大手筋アーケードから表門前。例年20団体ほどが参加。動画
※5 雄獅子は63kg、雌獅子は61kg。文政4年(1821年)伏見奉行仙石大和守久功による寄進。動画
※6 主祭神である神功皇后が朝鮮へ出陣をする様子を表す。動画
※7 天孫降臨神話。神輿の先導役
※8 10時~12時頃。平成29年のタイムスケジュール

(3)神輿渡御について
御香宮神輿の運行ルート九団体による渡御である。地区ごとに神輿組が交代で舁く。「桃山・深草大亀谷・住吉・板橋西地区」と「向島・南浜・板橋東地区」と「六地蔵地区」の三方面に向かう。神輿は神明型(屋根に千木)が一基(昭和36年製)、鵜鳥型(屋根に鳳凰)が二基(昭和36年製と昭和62年製)ある。昭和36年製の神明型と鵜鳥型が5年毎に交代して「桃山・深草大亀谷・住吉・板橋西地区」と「向島・南浜・板橋東地区」をまわり、昭和62年製の鵜鳥型が六地蔵をまわる。昭和35年までは一基の神輿で氏子区域をまわっていた。現在のルートは右図の通り(線の色が3基の神輿を表しています)。(⇒平成29年度の神輿渡御タイムスケジュールはこちら

神輿渡御の日程は、明治以前は9月9日(重陽の節句)であった。明治以降新暦移行に伴い10月9日に変更。体育の日制定後10月10日となった(いずれも1日より祭が始まる)。現在では体育の日の前日までの9日間行われるが、体育の日が第二月曜に制定されたため、毎年日程が変わる。例えば平成29年度は9月30日から10月8日まで。

[千姫神輿について]
徳川秀忠が、長女千姫が長女を産んだことを祝って寄進したもの。または千姫が寄進したもの。すなわち、千姫誕生を祝って秀忠が寄進したものとの説は間違いである。重さ六百貫(約2250kg)あり、日本一重い神輿として自慢の神輿だったが、重すぎて体力が続かないということで舁けなくなる。現在は表舞台見所の収蔵庫にて保管し、神幸祭期間中に特別公開している。

【本稿執筆にあたっての参考文献】

  • 『御香宮神幸祭について』(三木善隆、伏見城研究会定例勉強会配布資料、2017年)
  • 京都府伏見町誌
  • 御香宮祭礼と木挽町青年団』(木挽町青年団、2017年)
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