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伏見奉行・内藤豊後守正縄

御香宮神社に今も残る内藤豊後守様御武運長久の石灯篭

内藤豊後守正縄は信州岩村田の藩主で領土1万5000石。天保9年12月より伏見奉行に就任しました。正縄はもともと唐津の水野家の生まれで、水野家から内藤家に養子に来ました。いずれ老中となる水野忠邦の実弟にあたります。

さてこの内藤正縄氏、とても慈悲深い方で、伏見奉行としては善政を敷いて住民から大層慕われていたようです。その施政の例としては、伏見叢書には、平野屋敷の池沼を開墾して住居を建て、その家賃で諸入り費用に充て、あるいは町家に裏に散在する荒地を開墾して桑を植えて養蚕を奨励し、流行病の発生時には自費を投じて施薬療養せしめ、平戸剣先の土地を開いて遊園地を設けて市民の娯楽に当て、寒い日に子供が震えているのを見れば直ちに衣服を施し、治世者として天職を尽くした、とあります。また、在勤中一度転任の話があった際には知らせを聞いた町民一同が驚いて代表者を江戸に派遣し勤続を嘆願し、聞き届けられると、町民一同喜び、御香宮神社に「内藤豊後守様御武運長久」と刻んだ石灯篭を献納しました。

内藤豊後守正縄は、安政6年まで伏見奉行を務めました。

 

灯籠には岩村田藩の家紋、岩村田藤が彫られています。面白いことにこの灯籠は左右対になってるのですが、もう一つの灯籠に彫られているのは橘紋(御香宮神社の紋)です。この内藤豊後灯の特殊性が際立っています。

【本稿執筆にあたり参考にした資料】

  • 伏見叢書
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