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寺田屋事件 薩摩藩伏見屋敷の絵図発見 龍馬かくまう

城南宮提供 産経新聞社HPより

坂本龍馬が寺田屋事件の後に運び込まれたことで知られる薩摩藩の伏見屋敷(京都市伏見区)の絵図が初めて見つかったと、京都市伏見区の神社「城南宮」が3日発表した。龍馬の時代より80年前に作成されたものだが、この間、屋敷の焼失などは確認されておらず、専門家は「龍馬の命が助かった歴史的舞台の絵図。龍馬が治療された部屋などを調べる手がかりになり得る」としている。

見つかったのは「伏見御屋鋪惣繪図(おやしきそうえず)」(縦約1メートル、横約1・3メートル)で、城南宮の鳥羽重宏宮司(52)が市内の古書店で購入した。天明6(1786)年に描かれたとみられ、「御玄関」や留守居役が駐在する「御仮屋守(おかりやもり)居所」など屋敷内の間取りが詳細に描かれている。

伏見屋敷の建設時期は不明だが、江戸時代には参勤交代での薩摩藩の宿所として使用され、第13代将軍・徳川家定の正室・篤姫も宿泊したとされる。

一方、龍馬は慶応2(1866)年、船宿「寺田屋」で幕府側の襲撃を受け、約1キロ先の伏見屋敷に運び込まれて約1週間滞在して治療を受けたという。伏見屋敷は同4年の鳥羽・伏見の戦いで焼失した。

絵図を調査した京都国立博物館の宮川禎一上席研究員は「龍馬がどの入り口から運び込まれ、どの部屋で治療を受けていたのかなどを調べる大きな手がかりになる」と話した。(産経新聞HP

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幕末の志士、坂本龍馬が寺田屋事件(1866年)で幕府側に襲撃された後、かくまわれた「薩摩藩伏見屋敷」の絵図が見つかり、京都市伏見区の神社「城南宮」が3日、発表した。屋敷は寺田屋の約1キロ北の伏見区東堺町にあったが、敷地の広さや建物の配置、間取りなどが初めて明らかになった。

 調査した京都国立博物館の宮川禎一上席研究員は「歴史が動いた舞台の詳細が分かる貴重な資料」と評価する。「龍馬は屋敷の北東、管理者がいた部屋の周辺に担ぎ込まれたのではないか」と推測。当時、幕府側が龍馬を引き渡せと迫ったが、薩摩藩が拒否、両者の亀裂が決定的になった事件という。

 城南宮などによると、絵図は江戸中期の1786年、改築工事などのために作られたとみられ、縦約1メートル、横約1・3メートル。敷地は南北99メートル、東西64メートルで、間取りや配置はほぼそのままだった可能性が高い。今年4月、城南宮の宮司が京都市内の古書店で発見、購入した。

 事件では、薩長同盟を取り持った龍馬を伏見奉行所の役人が襲撃。負傷した龍馬は材木小屋に身を隠し、薩摩藩が濠(ほり)川を使って船で救出し、屋敷に運び込んだ。屋敷は1868年の鳥羽伏見の戦いで焼けた。

 絵図は、4日から城南宮で、7月25日から同博物館で公開する。(毎日新聞ー共同

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