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弁天祭

弁天祭は毎年7月第4日曜日に東光山長建寺にて行われている祭事です。かつては篝り船、神輿船、舞妓囃子船、遊覧船などが出る水都伏見を象徴するような盛大な行事でありましたが、現在では境内での護摩炊きが中心となっています。平成26年に船渡御復興プロジェクトが立ち上がり、川の両岸に篝火を焚き十石舟を運行させました(平成29年は実施せず)。

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【文献より】

「中書島辨財天は六月十五日祭礼を行ふ。前日より船を出し、堀詰近辺の薪屋にて薪を請ひ、祭礼の当夜船中に之を焼き、数十名の男子、水に投じて遊泳し又舟に乗る。これを篝船と云う。この他神輿船、舞妓船あり。安永の頃は昼より夜八つ頃まで遊船数十艘泛(うか)び、伏見浜付近は大に賑ひ、京都祇園町より芸舞妓等来り。天女の芸を奉納すれば出世の福ありとて競ふて演舞せり。現時は七月下旬に之を行ふ。往時に比し小規模にして祇園芸妓の演舞等は跡を絶ちたり。」(京都府紀伊郡誌、大正4年(1915年))

「中書島辨財天は、六月十九日祭礼を執行せり。前日より船を出し鐘を鳴らし、太鼓を撃ちて堀筋を北にし堀詰附近の樵木屋にて薪の寄進を受け、祭日の夜、船中に之を焚く。多数の裸体男子乗船し鉦鼓を鳴らして踊り、火熱に苦しむ時は川に投ず。之を篝り船と称す。その他に神輿船、舞妓囃子船あり。安永の頃は、昼より夜八つ頃迄遊船数十艘浮び、幅五寸、長一尺三寸余の提灯に、長楽連中と墨書せるもの二十余張を高苫の端に結びて景趣を添へ、京都祇園町よりも多数の芸舞子来りて、祠前に演舞を催せり。蓋し、演舞を奉納すれば、立身出世早しと称されたるを以て也」(京都府伏見町史、昭和4年(1929年))

 

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