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代表挨拶

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こんにちは。伏見寺田屋浜Piers’n’Peers、通称「ぴあぴあ」の「代表」の藤崎壮滋です。

宇治川派流が流れる伏見・寺田屋前に平成24年7月に店舗兼「まちづくり基地」を構えてからはや5年がたちました。ぴあぴあの活動を一言でまとめると、「伏見を日本一歩いて楽しいまちにする」ことを目的に、非行政有志グループによる伏見桃山の都市計画と歴史文化生態系の保全をすすめる実践型まちづくりプロジェクト、といえると思います。この間の試行錯誤の記録をまとめておくことにも意義があるだろうと思い立ち、筆をとりました。

 

◆「まちづくり」へのきっかけ

私自身は実は千葉県市川市のベッドタウンで生まれました。エンジニアである父の仕事にくっついて、小学校高学年をブラジル、次いで思春期をアメリカで暮らす中で、その地域固有の文化というものを強く意識するようになり、日本文化をより深く知るために、京都の大学に進学する道を選びました。法律学や政策学を学びながら、いろいろな地域活動をしました。

町家の並ぶ風景やそこで育まれたきた文化は、私にとって、それまで両親や地域から教わってきた文化と合わさっていつしか、自分のアイデンティティの一部になりました。その後東京のIT企業に就職し、海外(主にタイ)で暮らしたりもしましたが、いつかは再び京都に、との思いも強く、2008年に京都大学大学院の地球環境学舎に合格したことを機に京都に戻ってきました。そこで家探しをする中で運命的に出会ったのが伏見でした。宇治川派流と酒蔵と柳の景観 御香宮神社の夏越の祓、豊臣秀吉と坂本龍馬、元気な商店街、日本酒、自由闊達な雰囲気などなど、求めていた景観、歴史、文化がここにはありました。

大学院で景観生態学(自然生態系の観点から環境と共生する土地利用を考える学問)を専攻する傍ら、『京都市未来まちづくり100人委員会』の運営委員、環境・景観部会長として、チマキザサの再生活動や京町家の保全活動に取り組みました。この時の、立場の違ういろいろな方との共同作業が意外と自分に合っていました。海外でいろいろなまちと文化を見てきたこと、大学で法律学専攻だったこと、大学院での環境・景観専攻、ビジネスマンとして様々なプロジェクトを作り上げてきたこと、自分の一部となった京都の文化をより深く知るきっかけとなること。それらが全て関係してきて、自分の経験とスキルを活かせる活動であったことから、思いがけずこの後まちづくりに本格的に関わることとなりました。

伏見では区役所や青少年活動センターなどに出入りし、徐々に環境や歴史などの分野で人脈を拡げていたところに、史蹟・寺田屋前に空き物件が出ました。「ここを活動基地にしよう」。これが伏見寺田屋浜Piers’n’Peersの始まりです。名称は英語で「船着き浜と仲間たち」。歴史文化やネットワークというこれからの活動のキーワード、従来の地域団体っぽくない名称、ごろの良さ、などを踏まえた名称です。物件を船宿風に改装し、まちづくり仲間にペンキ塗りを手伝ってもらって、平成24年7月の最終金曜日、夏の夜市の日に合わせてオープンとなりました。

 

◆伏見の課題

伏見で気付いた最も大きな課題は、旗振り役の不在による、地域文化資源の消失です。
伏見は古くは橘俊綱(関白太政大臣・藤原頼通の子)、その後は豊臣秀吉、徳川家康といった天下人、そして明治天皇に選ばれた土地。
城下町の骨格は、世界にも誇れるまちの姿です。
路が狭かったり折れ曲がっていたり堀が張り巡らされていたりして車が走りにくいことが今となっては功を奏し、ヒューマンスケールのまちと文化が残っています。ここだけがぽっかり浮かぶ島のようです。

江戸時代の伏見は、毎日数千もの舟が行き来する日本有数の内陸港でした。京都大坂間の物流は全て伏見を経由し、積み替えられて運ばれていきました。参勤交代に江戸に赴く西国大名も、必ず伏見を経由しました。京橋界隈には本陣・脇本陣、船宿、旅籠が立ち並び、毎日大勢の人が行き来しました。その中の一人が寺田屋を定宿とした幕末の坂本龍馬です。

江戸時代の桃山は、日本有数の桃の生産地でした。春に一斉に花開く様は文字通り桃源郷の美しさで、吉野の桜と比肩されるほどの花見の名所として、関西一円から大勢の観光客を集めました。そのような「桃山」は漢詩をはじめ多くの文学作品の題材となりました。人が住み、交流し、伏見文化は隆盛を極めました。

しかしながらそれらの歴史文化を保全するような活動が弱い。郷土資料館もろくになければ、郷土史や郷土文学の研究者も少ない。伏見桃山の文化芸術振興を担う団体もあまりない(※京都市呉竹文化センターや伏見区文化協議会や民間団体などが全くないわけではありませんがそれほど大きなものではありません)。またそれらの魅力を活かしきれていない。光が当たっていない。地域文化の発掘、保全、展示、どれもが不充分です。

観光業という点では、これだけ豊富な歴史文化資源を有するのだから、よその土地であれば、資料館ができ、宿が立ち並び、一大観光スポットにもなるでしょう。しかし伏見はそうなっていない。それは伏見が京都市の一行政区であるため、どうしても独自の動きがとりにくく、文化政策や観光政策においては大京都を前に後回しにされてしまうことも大きな要因でしょう。隣の宇治市が伏見よりはるかに人口が少ないにも関わらず、宇治のアイデンティティを活かした文化や観光施策を次々と打ち出しているのと対照的です。

そうこうしているうちに、魅力ある古家は月並みなマンションに、地域の老舗は全国チェーンのお店に変わっていく。

放っておいたら行政がやらないのであれば、民間が自分でできることをやったり、地域を巻き込んだムーブメントにしていかないと。

◆どうやって?

まず一つは行政へのアプローチ。伏見区の基本計画推進委員の公募委員、伏見エコライフプロジェクトの代表、伏見をさかなにざっくばらん(ふしざく)の事務局等になりました。京都府や京都市の、商業振興系・地域振興系の仕事を数多く請けました。いろんな部署の担当者との関係は出来てきましたが、非力で大した仕事はできておりません。これから、です。

それでは、というわけで自分でできることから進めています。Piers’n’Peersを船宿デザインに改装し、ポスター掲示エリアとチラシスタンドを設置し、伏見のミニ観光案内所/地域情報案内所としました。何十本もの地域のまち歩きイベントや勉強会を企画、主催し、世間の関心を呼ぶ一方、保全していくべきものの見える化を進めました。自分たちの足で集めた地域情報を毎日のようにウェブにアップしました。いろんな地域マップや冊子も作りました。桃の植樹、桃バル、ランチマップなどもそれらの一つです。いかんせん自分たちだけでは非力なので、より多くの人々に関わってもらうべく、参加型のイベントをたくさん行いました。伏見港まつり竜馬通りでの路上パフォーマンスたくさんの田んぼイベント一翼を担っているふしざくもその一つです。

商店街からの仕事を請けたり、商店街で路上演奏をしたりして、商店街の理事など地域のステークホルダーとの顔の見える関係性づくりを進めてきました。

これらの活動は総じていうと、個々人それぞれ異なるベクトルを束ねて大きなベクトルにしていく作業、と言えるでしょう。これにはコーディネート力やプロデュース力が問われます。うまくいったものもありますし、うまくいってないものもたくさんあります。と同時に、その役割を担わせてもらえるかどうか地域にアピールする活動でもありました。評価された部分と評価されなかった部分、両方ありました。評価された理由はそれなりに結果を出したからであり、評価されなかった理由はいろんな意味で実力不足だったのでしょう。

 

◆必要なパブリックサービスをどうやって生み出すか

まちに必要なパブリックサービスを生み出す方法は、いくつもあります。
どれか一つが正しいというのではなく、結果として無理なくサービスが創造・提供できていれば、それは正解の一つなのでしょう。

まず、パブリックサービスの創造を稼ぎながら、つまり仕事として取り組むことに、ぴあぴあコミュニティサポート合同会社のメンバーが取り組んでいます。いわゆるソーシャルビジネスです。商店街振興、地域イベントの企画運営、出版や翻訳、まちづくりに関する各種知恵サービスなど、クライアント様と相談しながら、まちの中で技術や経験を生かしています。この方法の良い点は、現役世代が参画しやすいことと、ノウハウが組織に残ること、そしてボランティアではカバーしきれない領域を拾うことができること。

次に、ボランティアも大きな力になります。定年後にまちに飛び込んでくるシニア世代、授業の一環として地域活動に飛び込んで切る大学生、今の職場がつまらないので、というモチベーションの現役世代など。

趣味に社会性を持たせるというのも一つの方法です。例えば楽器演奏は私の趣味ですが、人前で弾けば地域の賑やかしの多少の助けになります。園芸を公園の花壇ですれば、多くの人の目を楽しませることができます。歴史に詳しい方はボランティアで観光ガイドをすれば皆が喜びます。

ただし、ボランティアや趣味の延長の方々の活動を生かすには、そのコーディネート役と「尻拭い役」が不可欠です。例えばお祭りにしても、公園管理にしても、大勢のステークホルダーの方々との連携で行うわけで、「今日はちょっと体調が悪いから休みます」では、それらのステークホルダーの方々に迷惑がかかります。それにボランティア参加者同士がケンカしたり、ボランティアが良かれと思って実施する取り組みが地域を「荒らす」こともあります。

まち関わる人たちは、目的も、年齢や体力も、活動の頻度も、それぞれの立場も、ITスキルも、喜ぶポイントもみなバラバラです。それらを束ねて大きな社会の力にしていく方法が重要です。我々もその技術は日々研鑽中ですが、我々の場合、プロパーで伏見桃山にコミットしているぴあぴあコミュニティサポート合同会社という会社のメンバーが、さまざまな方々のベクトルをコーディネートし、Win-Winの絵をデザインし、いざという時にバックアップに走ることで、責任感ある事業実施体制を整えていることが一つの特徴です。

◆伏見地域創造ファンド

最近注目しているのは、「寄付」です。
お世話になったまち、好きなまちに寄付をしたいというニーズは少なからずあると思います。
まちの共感する活動に直接寄付できる仕組みを整備していきたい。伏見地域創造ファンド構想はその取り組みです。
予算があれば、できること、やりたいことはまだまだあるんです。

◆文化保全は生態系の保全

我は地域の伝統文化の保全と継承にも力を注いでいます。具体的には御香宮神社や三栖神社のお祭りであり、地蔵盆であり、衣食住の文化です。それには誰がどんな文化を保全してくれているのか、それを成り立たせる生態系の保全策を考える必要があります。地域の伝統文化の担い手の中心は、古くからこの地で事業を営んでいたり、お店を出していたりする人たちとその家族です。つまり、お商売がうまくいっていないといけない。経済のグローバル化が進む中、どのように地場産業を盛りあげ、地域の雇用を維持していくかという視点も、地域伝統文化の保全、継承には重要です。我々が取り組んでいるさまざまな商店街の支援活動は、少しだけ貢献できていると思います。

 

◆歩くまち伏見の推進に向けて

この地で生まれ育った方は当たり前になっていて気が付かないのですが、伏見桃山は信号が少ないまちです。たとえばぴあぴあのある寺田屋浜から最寄りの中書島駅まで5分、伏見桃山駅まで10分、いずれも信号がありません。車通りが少ない道を歩いて安全に駅までたどり着けます。全国の旧市街地を見渡しても、ここまで信号が少ないまちは珍しいのではないでしょうか? それを成り立たせているのは、24号線・油小路通り・外環道路などの車向けの交通インフラがまちの周囲を取り囲む一方、まちの中心部は城下町の名残りで道が狭く、堀が走り、商店街が歩行者天国になっているという、車中心の土地と歩行者中心の土地とのゾーニングがうまくできているまちの骨格です。このような歩行者中心のスペースを持っているまちは非常に少なく、伏見桃山の大きな魅力であり武器です。

しかしながら、この魅力と武器の維持保全に地域のコンセンサスがまだまだ得られていない。歩行者天国の商店街を走り抜ける自転車は後を絶たず、寺田屋前で写真を撮る観光客や通学中の中学生に向かってクラクションを鳴らしながら突っ込んでくる自動車も多い。観光客の車や観光バスが入り込んできて、細い道で立ち往生していることに出くわすことも多い。

こうした交通インフラ面については、行政と連携して進めていかなければいけません。我々は道路に歩行エリアを示す白線をぬってもらったり、商店街で自転車走行マナー向上の啓発イベントを行ったりしています。中心部での自動車の速度制限、大通りへの迂回路誘導などもして欲しい。伏見桃山エリアは公共交通機関が発達してるので、パーク&ライド、パーク&ウォークを徹底していくべきだと考えます。

並行して我々は、まちの中にヒューマンスケールのコンテンツを増やす努力をしています。具体的には路上音楽イベントであったり、桃の植樹であったり、歴史資源をめぐるまち歩きなどです。歩きたくなるようなコンテンツをまちに増やすことで、自然と歩行者優先のまちにしていければと考えています。

 

◆ぴあぴあの組織

伏見寺田屋浜Piers’n’Peersは、「伏見を日本一歩いて楽しいまちにする」というコンセプトに共感し、何らかの活動を行う人々と団体のネットワークです。核になっているのがぴあぴあコミュニティサポート合同会社です。それぞれの団体は共感し、協働するけど、統括はしない。統括組織はありません。だから私が伏見寺田屋浜Piers’n’Peersの「代表」というのは指揮系統をもった呼称ではなく、いくつかの個々の団体を代表し、全体を俯瞰しているスポークスマンという意味です。

営利追求を主目的としていないので、NPO(非営利組織)と言えると思います。しかしNPO法人ではありません。我々の活動はNPO法人という枠に収まるものではありませんでした。

 

◆地域にコミットしよう!

大学を出て就職し都会で働く、というのが標準的な社会人モデルになっている現代社会では、社会人の毎日の中に「地域」が出てきません。これが地域力の地盤沈下の根本原因です。我々は、社会人が地域に関わるいろいろなきっかけを提供することで、地域に関わる人、コミットする人を増やす取り組みを続けています。

 

◆活動ポリシー

我々の全ての活動に貫通する活動ポリシーは次の通りです。

  • まちの文脈を踏まえ、地域資源を発掘し保全し表現し、まちの過去・現在・未来を紡ぐ
  • まちに、自分も含めて人々の居場所と自己表現の場を用意する
  • 人の成長と地域の成長とを並行して行う
  • 楽しみながら、ノウハウを蓄え、続ける、伝える

 

我々は今後とも、まちに必要なサービスを創造し、継続的に提供していくために、活動を続けます。
ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。

平成29年8月24日 藤崎 壮滋

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